へらへらすんな。あほくさい軟弱を破壊せしめよ。
※ 先に記しておきますが、今回のこの日記で、本当にしんどい状況にいる方々をどうのこうのいうつもりはありません。
僕はね、軟弱なモノは好かん。ドッカーンッ!!!ちゅう感じが、好き。ほとばしるエネルギー。好き。
何やらうじうじグジグジいつまでも、僕は繊細なんですホント繊細なんですあぁうぅはぁ繊細だぁ傷つくなぁ、とか思ってる感じを身体からかもしだしている人は、まぁ嫌いではないけど、でも正直「いつまでそうやってうじうじグジグジしてる自分を人様に見せるつもりなんですか?」と多少イラつく。「繊細君」「繊細さん」達にイラつく。
なぜなら僕自身が、うじうじグジグジへらへら男で、まさに、自分は繊細だはあぁすごい傷つく今日もダメだ傷つきましたキツい助けて下さい、と思っていた時期が長きにわたってあったからだと思う。まぁ今だってある。けどあほくさいし、クサい。嫌だ。
僕の場合、根が楽観的だからというのもあるけど、そういう自分の「繊細君」状態から「脱皮せないかん」と思ったのには、まぁ、ある小さな(でも大きな)きっかけがあった。
当時、「繊細君」状態マックスだった僕は、あらゆる事に簡単に傷つき自分にも失望し、その「繊細君」独特の負のオーラを全力で身体から放出して生きていた。そして後からふりかえると実際的に少し壊れていた。ちょびっとばかりおかしな言動もとっていた。殺せよと日々思っていた。それを気にもとめず人様に見せていた。これらは駄目な事、とは言えないし、ある種しかたのない事だとも言える。
でも「脱皮せないかん」と思った。それは、僕の場合、
人に心配されたから。
ただそれだけだった。僕の(今思い出すとかなり薄くあまりにも雑で支離滅裂であほのような)話を、めんどくさそうな素振りも見せず、しっかりきいてくれて、意見もくれ、そして心配してくれた(それは社交辞令だったかもしれんけど)。そんな人がいた。ありがたい事だ。
「こんな僕の話を」「こんな僕の事を」と、その日の帰り道ひとりになった時に思った。気付いた。
「こんな」人間が何、人様に心配かけさせとんのだ
「こんな」自分の自分だけの思考回路、心配なんかしてもらう価値があるわけねえ
「こんな」のいらん
「こんな」のはずかしい...etc
結局は誰かにかまってほしかっただけだったのである。僕はこんなにも考えていてそして病んでいて傷ついているよほら見て。という甘え。
クサい。臭い。軟弱臭い。あほくさい。
といった具合で、「繊細君」や「繊細さん」を見かけると自分の嫌な影を見ているようでイラっとしてしまうのだ。特に「繊細さん」より「繊細君」に、まいる。
書き疲れた。この日記は後日、消去するかもしれんな。
えぇ〜最後にひとつ。グランジ。というか、ニルバーナ。というか、カート・コバーンはうじうじしとるけど大好きですよ。
ドッカーンッ!!!ちゅう表現しとるから。(進行形で書いているのは、僕の中でカートは生きてるから。…うおぇあぁ、これクサいなあ。)
おわり