日記、か。

日記。日々の出来事を記す、と書いて、日記。

むん。毎日書かねば日記とは呼ばないのか。どうなのか。

とか思ったけど、言葉の文字配列にとらわれてガンジガラメになるのも阿呆らしいですね…。

たまに「音楽は、音を楽しむ、と書くのだから本来はやっぱり楽しんだり楽しませたりするべきものでうんぬんかんぬん」的な事を言う人をお見かけしますが、そういうセリフを聞くたびに小首をかしげたくなる気持ちになるのも上記同様、言葉の文字配列にとらわれてるだけではないか。と思ってしまうからなのだな、と今気付きました。

別に「楽しんだり楽しませたりする」事が間違いとか、反対です、とかそういう事ではないけど。「楽しんだり楽しませたりする」事だけが音楽として正解ってわけでも無いですよねっていう。そもそも日本を出れば「ミュージック」とか呼び方変わりますしね。

そういう事を時々思っちゃいます。

言葉は僕らが世の中で生きていく為のヒントや道しるべとしてものすごい効果をもたらしていて、もっと言えば言葉がその世の中を創っている部分だってあったりして、とっても便利だし、もの凄い力を持っているけど


だけど、言葉はコトバ


と。ちょっとだけスッと身を引いて考えてみてみると、こんなに曖昧な物なのか。と驚くこともしばしばあります。というか、曖昧でしかないんじゃないだろうかと思えてきました、コレ書いてるうちに。



そうかそうか。うん、そうか。



そんな曖昧なものにとらわれてガンジガラメになるのは、やはり阿呆らしいですね。

と言う事で、僕の中で日記は毎日更新しなくても日記たりうると言う事が判明しました。「日記」という文字配列のおよぼすカタチをぶっ壊す事に成功しました。これからも色んなものをぶっ壊したいです。

みなさんもぶっ壊していきましょう。怒られない様に気をつけて下さい。


おわり。